一昨日、山田流箏曲の流祖、山田検校のお墓参りに行ってまいりました。
京成上野から20分ほどの京成高砂から歩いて7分くらいのところに源照寺 というお寺があります。こちらに流祖山田検校のお墓があり、毎年5月10日は山田流協会により法要が行われていますが、なかなか出席することができませんでした。

この日は東京泊の翌日でふと思い立って出かけたのですが、ちょうどご住職がいらしてお墓まで案内してくださり、いつもは閉じているというお墓の扉を開けてくださいましたので、お参りができました。
今回のリサイタルで「葵の上」、そして11月6日の山田検校作品連続演奏会第1回目の演奏会へ向けて、手を合わせてしっかりと祈念してまいりました。



山田検校は1757年生まれ。寛政年間にはその作風は大名から庶民に至るまでとても好まれて広く受け入れられました。その様子は「浮世風呂」などの庶民の生活を描いた書物にも描かれているほどですからその流行は相当なものだったのでしょう。特にその美声は評判が高く若い女性たちにもファンが多かったようです。江ノ島にある検校さんの坐像を拝見すると、若い頃は相当なイケメンであったのではと想像されます。当時の江戸に大流行した山田検校の歌や語りを重視した作風は美声の持ち主だからこその作品だったのですね。宝生流の能楽師だったという父を持ち、幼くして失明してから山田松黒に箏曲を学びます。能楽師であった父から仕込まれていたかもしれませんから、声を出して歌うことには抵抗なく、その発声法自然と身についていたかもしれませんね。箏曲の歌はすでにお上手だったのでしょうね。浄瑠璃や、江戸の三味線音楽の影響を受けこれまでの地歌箏曲とは異なる独自の作風<作歌もの>、雅楽の手など取り入れた箏組歌も作りました。江戸時代組歌はとても好まれて演奏されていたようですが、現代ではその単調さゆえかあまり演奏されなくなってきてしまいましたね。
文化14年(1817年)に第68代惣録検校となって同年死去、浅草山源照寺に埋葬されました。

さて、流祖山田検校の作品の中でも、大変大切にされている大曲に<四つ物>があります。
「熊野」「小督曲」「長恨歌曲」「葵の上」
いづれも素材として能からの影響を受けていて、曲構成なども演劇効果を取り入れつつ箏曲化しています。中でも今回リサイタルで取り上げる「葵の上」は最高位とも扱われている作品で、能の「葵の上」の詞章をそのまま歌詞に取り入れています。曲の展開も40分近い作品でありながら、変化に富んで飽きさせません。聞く方も長いと大変ですが、演奏する方はもっと大変です。その長さを感じさせないように、工夫を重ね、山田流箏曲としての良さ、醍醐味のようなものを感じていただけるような演奏がしたいと思っています。
どんな曲でも弾いても弾いても歌っても歌ってもその練習は尽きないのですが、「葵の上」は古典の中でこれ以上のやりがいのある作品はないかもしれないと感じさせてくれる曲です。
『源氏物語』の「葵の上」の人物背景、人間臭いドロドロしたところを押し隠そうとしても隠せない、人間の業を、怖いというよりむしろ哀れに愛しくさえも感じさせてくれるのは詞章と作曲が見事に合致しているからでしょう。

6月9日のリサイタルでは、上村和香能さん(箏)、山登松和さん(三絃)、善養寺惠介さん(尺八)を共演者にお迎えして、演奏いたします。なかなか演奏できない豪華メンバーですので、是非とも会場にお運びいただき、お聴きくださいませ。

紀尾井小ホール、午後2時開演です。
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ご来聴お待ちしております。

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